おんせんそふとぉ?

「ちがう、ちがう。お・ん・せ・い・ソ・フ・ト」

「‥‥‥なに それ?」

「パソコンが喋るんだよ」

「へ〜〜〜、そんな便利なモノがあるんだ」




てな訳で

誤字・脱字はご愛敬、
四十の手習いを地で行く

ヒデリンの音声ソフト奮戦記





えぴそーど

準備編

学習編

実践編

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[えぴそーど その壱]


「メールって便利でいいわよ〜。
 電話みたいに奇襲攻撃をかけないし
 自分の好きな時間にパソコンを開いて ゆっくり読めるし」

友人の言葉に「何か」が動き始めたような気がした。
そっかぁ。
自分の都合の良い時に書いて
相手の邪魔をせずに届けられる。
メールっていいかも。
そうして「何か」はパソコンという実態になり
私の生活の中に入り込んできた。
2000年 夏のことだった。

当時 我が家は狭いアパート住まい。
家具がひしめき合っていたが
新参者のパソコンのために窓際にスペースを作った。
窓から眺めた四角い空の光が眩しかった。
あの頃は理由もなく、
空の青さは命の続く限り確約されているものだと感じていた。

そのわずか4年後に光が失われようとは誰が考えただろうか。




[えぴそーど その弐]


「『を』ってどうやって打つんだ?」

ってなレベルからのスタートだった。
キーボードの感触が
何気に新しい。
てな訳で

まずはメール、とりあえずメール、やっぱりメール。
しばらくはメールライフにどっぷり。


次第にメールだけでは飽き足らなくなり
マニュアル本を片手に
「ヒデリンWorld」を立ち上げた。
2001年 夏のことだった。

当時 POPライターをしていた私。
仕事を終え、帰宅後一番に
パソコンに向かうのが日課になった。
充実した日々だった。

暗い影が音もなく忍び寄って来ていることなど誰が考えただろうか。




[えぴそーど その参]


「店内って こんなに暗かったっけ?」

勤めていたスーパーで仕事中、ふと頭をかすめたのがきっかけだった。
視野狭窄とは恐らく
欠損部分が初めは「点」の部分から始まり
その「点」が「面」になった時に自覚するものなのだろう。
「なんか変」
なにしろ見えづらい。
不安が広がった。

これはただごとではない。
危機感が走り 近くの眼科医院に駆け込んだ。
精密検査を受ける必要有りと診断され 大学病院に転院。
そしてセカンドオピニオン、サードオピニオン
診断結果はいずれも「網膜色素変性症」
2002年 初夏のことだった。

当時 視野視力ともなんとか生活できる程度にはあり
パソコンも裸眼で行っていた。
その時は音声ソフトの存在すら知らなかった。

その3年後に音声ソフトの世話になっていようとは誰が考えただろうか。




[えぴそーど その四]


「こんな視力、視野で何が出来るっていうのか」

正直言って 腐った。
車の運転をやめ、職場を去り、付き合いもめっきり減った。
外出の回数も少なくなり こもりがちになった。

一方
「まだ打つ手があるのではないか」
という思いも捨てきれず
新たに医療機関で受診してみたり、漢方薬や民間療法に頼ったりもした。
加えて
「障り」があるのではないかという気持ちも払拭できず
占いに縋り付きもした。

いずれも改善はおろか進行をくい止めることすらできなかった。
そして左眼が視力を失った。
2003年 冬のことだった。

当時 残された片目でなんとか活字を読むことは出来た。
情報として音声ソフトの知識はあったものの
利用しようという気持ちはなかった。
というより 現実を受け入れたくなかったのかもしれない。

その半年後 活字の世界が奪われようとは誰が考えただろうか。




[えぴそーど その五]


「この先 私はどうなるのだろう」

既に心の方が闇に支配されていた。
「見えなくなったらどうしよう」
日ごと不安が募る。
生活の中で 主語が入れ替わる。
体全体が目玉になったような気持ちだった。
「目が苦しい‥目が痛い‥‥光が痛い‥」
頻繁に主治医に訴えた。

「残念です」
主治医の言葉が診察室に虚しく響いた。
やがて 残された右眼も失明。
2004年 夏のことだった。

当時 現実をどう受け止めて良いのかわからなかった。
気持ちの居場所が見つからない。
「ヒデリンWorld」のことは気になったが
それどころではなく 暗中模索の毎日だった。

「何故こんなことになったのだろう」
「何故私がこんな目に遭わなければならないのだろう」

「何故」ばかりが頭の中を駆けめぐる。
「私の何がいけなかったのだろう」と考えたとき
これまでの自分の生き方、
もっと言えば自分の存在そのものが否定されたような気になった。
もう 本も映画も家族の顔も見ることが出来ない。
生きる事への意欲が失せ
いつしかパソコンも封印された。

ひょんなことから再び「ヒデリンWorld」が動き出そうとは
この時誰が考えただろうか。




[えぴそーど その後]


「『ヒデリンWorld』の掲示板に
 『お誕生日おめでとう』ていう書き込みがあったよ」

娘の言葉に「何か」が動き始めたような気がした。
そっかぁ。
私の誕生日を覚えててくれた人がいたんだ。
嬉しかった。
そうして「何か」は音声ソフトという実態になり
私の生活の中に入り込んできた。
2004年 暮れのことだった。

当時 世間は年の瀬で慌ただしかったが
ヒデリン時計は止まったままだった。

やがて迎える年明けがヒデリンWorldの第二の夜明けとなり
ヒデリン時計が新たに時を刻み始めようとしていた‥‥‥。

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 てなわけで これからが本番。

 いよいよメインテーマの核心に迫ります。

 「音声ソフト奮戦記」

 略して「音奮」

 準備・学習・実践編へと続きます。



[準備編]


「え〜〜〜〜〜っ!?
 キーボードを打つぅ!?」

な、なぬぅ〜ん。
朝だったが ひるんでしまった。
福祉支援機関のITサポートセンターに
「音声ソフトとは具体的にどのようなものなのか」と
電話で問い合わせたまでは良かったのだが
思わぬ返答に いささか動揺した。
甘かった‥‥‥。
音声ソフトなのだから
ユーザーの声を認識して 喋った言葉を変換してくれるものだと
勝手に思い込んでいた自分が マヌケに思えてきた。

ひとまず電話を切り 返答の内容を反芻してみる。
「音声ソフトは 基本的にキーボードで打った文字を読み上げるソフトなのです」
てことはタッチタイピングが必須ではないか。
頭を抱え込んでしまった。
目が見えている時でさえマスターできなかったのに
このような状況で ましてやこの歳で‥‥‥って一体いくつなんだ(闇の声

てなわけで
漕ぎ出した船は早くも暗礁に乗り上げてしまった。


「なんとかなるよ。やってみれば?」と
助け船を出したのが 春休みで帰省した息子だった。
強力な協力者である。
彼は既にタッチタイピングをマスターしている。
風を味方に付けたような感じだった。
かくして
心の準備が整ったヒデリンは
四十の手習いモードへと突入するのであった。


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[学習編]


「なぬっ!?ほーむぽじしょん!?」

テンキーの「数字の5」にマークがついていたのは知っていた。
ポチっとな。

恥ずかしながら アルファベットの方に
ホームポジションキーなるものがあるとは知らなかった。
てなレベル。
前途多難なスタートだった。


まずは ホレ ホームポジションキーとやら。
FとJに付いてるポッチを頼りに左右の人差し指を乗せ
残りの指も定位置に。
全てはここから始まる。
う〜む‥‥‥。
しかし なんだなぁ。
テンキーやファンクションキーは順番通りに並んでるのに
何故アルファベットの方は
ABCD順に行儀良く並べられてないのだろう。
などとご託を並べながらキーボードを叩き 配列を頭に叩き込んだ。

わずかな時間ではあるが
ほぼ毎日 パソコンの前に座った。
甲斐あって数日後には
十六夜チックではあるが どうにかこうにか文章が打てるまでになった。

よしっ。
この調子ならなんとかイケるかも
ってんでコマを進めることにした。

さて、ここからが問題だ。
今までにも音声ソフトの情報収集はしてきたものの
実際にどのようなキー操作で 読み上げはどのような音声なのか
などなど 未知の領域も多く
果たして私に使いこなせるのか不安もあった。
なので障害者支援機関のITサポートセンターがある「福祉工場」に
見学に行くことにした。

そこで聞いた音声ソフト選びのポイントは 第一に使用目的で
私の場合 その殆どはホームページの運営にあるので
ブラウザソフトを選ぶことに決めた。
第二に値段。
これは財布と相談する事にした。
第三にパソコンの つまりはWin98に対応するソフトの選択。
そこら辺を踏まえ いよいよ音声ソフト購入の運びにこぎつけた。

ぼちぼち息子の春休みも終わろうとしていた。


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[実践編]


「立ち上げは
 Ctrl + Alt + F4キー。
 ふむふむ‥‥‥。
 終了は Ctrl + Q。
 ほぅほぅ‥‥‥」

てなわけで
何はともあれ基本操作。

覚えようにも なんせメモができない。
くたびれた記憶力だけが頼りである。
故に
わずか数種のショートカットキーに
私の脳ミソは翻弄されるのであった。

次なる実践は
テキスト領域を探し 文字入力をし 実行ボタンを押すこと。

これがまた難儀なのである。
画面上でフォーカスが確認でき
マウスで操作していた頃は なんてことはなかったが
音声の誘導だけでの作業となると 一筋縄ではいかない。
幾度も
「ほんのわずか 針の穴ほどでもいい 視力が欲しい」
と思った。

その数だけ虚しさを味わった。
まだまだ「障害」を飼い慣らすまでには時間がかかりそうだが
「習うより慣れろ」の精神で行こうと心に誓った。

さて次は 文字入力。
これがまた難儀。
思考回路とタイピングのスピードが噛み合わない。
なので 何をどれだけ文字を打ったのかあやふやになる。
意識が分散すると思考回路が鈍ってくる。
文章などボロボロである。

キーボードに乗せた指先からメッセージを届けることができると思うと
エネルギーが湧いてくるような気がした。

てなわけで
誤字脱字はご愛敬。
稚拙な文章は読み手に甘える。
かくしてメッセージを送受信すべく
今日もパソコンに向かうヒデリンであった。

気が付けば いつしか 春は通り過ぎ
季節は新緑の風を追いかけていた。



おしまい。

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