[エピソード その0]『全身状態は著変なし。 もともと前医通院時より利尿剤に不応性の 難治性の下腿浮腫(リンパ浮腫疑い)を指摘されていた。 現在の下肢浮腫に関しては低アルブミンの影響もありそうだが、 なかなか浮腫のコントロールが難しい』 カルテより抜粋 [エピソード その1]「最近またしみしみが出てきちゃってさぁ」 電話で調子を聞くと 「まぁ相変わらずだ」としか言わない入院中の母ことヒデリンであったが、 この時は少し様子が違った。 2月の下旬頃だっただろうか。 この『しみしみ』というのは、 むくんだ足から漏れてくる謎の水、おそらくリンパ液。 医療者向けの難しい言葉では『滲出液』と言うらしいが、 これをヒデリン風に言ったのが『しみしみ』である。 そもそもなぜ母が入院することになったかというと、 この『しみしみ』であった。 65歳の誕生日を迎えたあたりからどうにも調子が悪そうではあったが 2021年の年明けあたりに、今までもひどかった足のむくみが一層ひどくなり、 足から水が出るようになったと聞いた。 この水が漏れた足の傷口から細菌が侵入し、感染症が重症化した… のではないかと思うが、それは結局最後までわからなかった…。 [エピソード その2]「カリウムの点滴を打たせてほしい」 母が足の手術をしてから1か月近く経った頃だった。 母は入院する前から腎臓をかなり悪くしており、 腎臓が悪いと普通は血中のカリウムは高くなるので 食事でカリウムを制限したりするのだそうだが、 主治医が言うにはこのカリウムが低くなりすぎて危険なのだそうだ。 これもまたリンパ液と一緒にカリウムが漏れている …のではないかというが主治医の見立てなのだが、 「ほかに思い当たることもないので…」 と、自信なさげ。 母の状態はこの頃からなかなか良くならず、 重要なたんぱく質などの栄養状態も芳しくなかった。 結局この『しみしみ』を改善しないと良くならないのでは… このリンパ液が漏れるむくみは『リンパ浮腫』なのではないか? というこれもまた自信なさげな主治医の見立てだったが、 この病院に専門の診療科はなかった…。 [エピソード その3]「こんな記事があったんだけど。父にも見せておくれ」 母の入院先から帰る途中、昼食にしようと父(ヒデリンの家人)とラーメン屋に入って注文を待っている時だった。 姉からラインが来ていた。 この頃は週末に一度、母に着替えやら何か食べたいものやらを病院に持っていくのが習慣になっていた。 母の病状はやはり良くならず、 「やっぱ田舎の病院はダメだな」 と父は病院の悪口を連発。 セカンドオピニオンも考えていたが、 「転院できるような状態じゃない」 などと、主治医は紹介状を書くことに乗り気ではなさげ。 さておき、 姉からのラインはリンパ浮腫のカテーテル手術の記事のURLだった。 治療の実績がある東京の病院が紹介されていた。 「話聞いてもらえないか電話してみようと思うんだけど」 例の『しみしみ』は相変わらずで、今の病院にいても治る見込みはなかった。 これがリンパ浮腫だというのも確定診断ではなく、 少しでも何か糸口のようなものが欲しい状況だった。 「いいと思うよ」と返信すると、 姉はさっそく東京の病院に予約を取り付けた。 本人は他院に入院中で家族のみ来院という形だったが、話を聞いてくれるようだ。 東京の病院の予約を取ったことが入院先の病院にも伝わると、 ようやっと主治医も紹介状の準備に取り掛かった…。 [エピソード その4]「手術すればリンパ浮腫は治りますよ」 四月の中旬頃、目下のコロナ禍のため家族での団体行動を控え、 例の東京の病院に姉は単身乗り込んでいた。 「血圧と感染症が落ち着いたら連れてきてね」 と、リンパ浮腫治療の権威らしき医師の返答であり、 なかなか希望が持てそうなものだった。 この頃になると、 「血圧が低い状態が続いていてい危ない」 「アルブミンが足りないので点滴する」 「白血球が極端に減っている。抗生剤の耐性菌が原因でないことを祈るしかない」 など色々言われており、かなり危険な状態になっているようだったが、 それでもやはり面会はできなかった。 が、その翌日には面会が許可されることになろうとは、 この時誰が考えただろうか。 父に入院先の病院から電話がかかってきた。 「お母さんが意識ないんだって。すぐ来てくれって」 [エピソード その5]「携帯が読み上げなくなっちゃった」 母は覚束ない口調でそう言い、震える手でアイフォンを渡してきた。 病院から緊急の電話があった翌日、限定一名様で夜間付き添いが許可されたので、 泊まり支度をして改めて母の病室を訪れた。 昨日意識が混濁した時は脱水症状だとか体のどこかで出血しているだとか言われたが、 あとから聞いた説明によると敗血症性のショック症状だったようだ。 輸血によって意識は回復したが、 うまくしゃべったり体を動かしたりできないようだ。 母のアイフォンを受け取り、 ボイスオーバーをオンオフしたりして音声を復活させて母に返すと、 「心に刃が刺さったようで 苦しいです」 というテキストをアイフォンが壊れたスピーカーのように連発し始めた。 ヒデリンWorld掲示板のケロウさんの書き込みだった。 掲示板を覗いている場合ではないのではないかと思ったが、 震える指でスワイプを繰り返す母の姿を見て、 執念のようなものを感じて止められなかった。 付き添っているうちに母は少しずつ調子を取り戻し、 会話のトーンや話の内容は以前と変わらなくなっていった。 不幸中の幸いにも面会中の今なら何かとサポートができる…ということで、 晴れて掲示板への書き込みにチャレンジしてみることになった。 「『T』ってどこだっけ?」 「『R』ってどこだっけ?」 とすっかりキーボードの打ち方を忘れてしまったヒデリンであったが、 しばらくすると一人でも書き込みができるようになっていった。 しかし以前のようにはいかず、数行の書き込みでも何十分かかかってしまう。 体力の低下に加えて、手のしびれや皮膚の状態のせいもあるのだろう。 体中に繋がれているケーブルも邪魔そうだった。 ともあれ、今思えば束の間のことであったが、 ヒデリンWorldにヒデリンが復活したのだった。 [エピソード その後]数日後、母はヒデリンWorldのリニューアルを宣言し、 オヤジギャグはやめると言い出した。 さらにその翌日、リニューアル宣言後の記念すべき最初の徒然日記の更新をしようとした時だった。 「打った文章が消えちゃった…あーもー、疲れた」 悲しい事件だった。 今の母にとってはかなり長い文章を打ち込んだようだったが、 ブラウザバックなどをしても文章はもとに戻せなかった。 また同じ文章を打つのはしんどそうだったので代筆を申し出、 母の言葉に合わせて日記の入力を進めていき、 終盤まで打ち終わった時だった。 『あっしの足は家族が荼毘に付しました。なーむー・・・・・・』 「結局オヤジギャグじゃん」 [おわりに]その後、母の容態は徐々に回復し、また面会禁止になってしまいました。 次に会うのは退院時だろうと思いましたが、 結局それっきり、生きている母に会うことはありませんでした。 こうなってしまったのも、元をたどればリンパ浮腫が原因なのだろうか。 母が東京の病院を受診することは最後までできなかったので、 それは結局最後までわからなかった…。 そんなわけで、 ヒデリンWorldリニューアル計画の1つに『リンパ浮腫の謎』があり、 いかにも病院っぽい注射器とかの画像を出してほしいと要望がありましたが、 肝心の中身は例によって宙ぶらりんでしたので、 息子が怪しい記憶を頼りに書きました。 母へ 少しは供養になったかな? せめて安らかに… おしまい。 |