★ヒデリンの手さぐりクッキング★

全盲主婦の腕まくり^^



「大さじも 小さじも要らぬ 母の味」
なんてな川柳を地で行っていたヒデリン。
だが‥‥‥

40代半ばにして 失明という予期せぬアクシデントにそうぐうし
目の前が 真っ暗になってしまった。
以来 目分量という究極の技が使えなくなり
簡単な調理すら ままならなくなってしまった。
毎日 炊いている御飯ですら
水加減の目盛りが見えないと 自信が持てなくなる。
ジャガイモの皮を剥けば まだらで
芽の取り残しがあるのではないかと慎重になりすぎ
散々時間をかけて剥きあがってみれば
大きさが 半分くらいにまで削られてたりもする。
人間は いかに視覚に頼っているかという事実に打ちのめされた。
時に テーブルを拭けば
コップや醤油差しなどを倒してしまう。
ただ それだけなのに

そんな時 無性に悲しくなる。
かつては そこそこ家事をこなせていたのに
どこで どう狂ってしまったのか
小さな子供でさえ出来る簡単な事すら出来なくなった自分に
かつて味わったことのない 喪失感、疎外感を味わった。
もう 以前の私には 戻れないのか。
来る日も来る日も 失意のどん底で
もがき 苦しみ 神経をすり減らした。
このままでは いけない‥‥‥
そんな事は わかっている。
夜の闇の中で
このまま朝が来なければ良いと
何度思った事か。
だが
どんなに苦しくても つらくても
無情にも 朝は やってくる。
そして 空腹も やってくる。
口は減らないが 腹は 減るようだった。

そうなのだ。
生きてる限り 食べなきゃいけないのだ。
ハラが減ってはイクサはできん。
腹ごしらえして イクサに行くさ。
って なんのこっちゃい。

とは言え 情報の8〜9割を得ているという視覚機能が失われた状態では
想像以上に 調理は困難。
一歩間違えば 大惨事になりかねない。
なので 慎重にも慎重を重ね 工夫をこらし
時に 辛酸をなめ 苦渋を味わい 涙を飲みながら
日夜 台所で奮闘する
ヒデリンの 手さぐりクッキング。
さぁ ヒデリンのキッチンへ Go!


ですが
ここは レシピを紹介してるのではありません。
食文化は 蝕文化として さらに
聴覚や嗅覚をフルに使って試行錯誤を重ねて得た
ヒデリン流のキッチンライフの紹介です。


・・・ようこそ ヒデリンハウスのキッチンへ・・・



ヒデリンのキッチンは
ごくごく ふつーのキッチンである。
視覚障害者用の生活用品といえば
キーホルダータイプの音声時計くらいのものだ。
給湯のスイッチなど
スイッチを入れても ウンともスンとも言わない。
私的には 音声で知らせてくれるシステムにしたいのだが先立つものが‥‥‥
ふっ‥‥‥余計な事はいわんでいいか。

じつは 炊飯器も そうなのだ。
音声付きの炊飯器や電子レンジが欲しいのだが
欲しいと言っても すぐに買えるほど
世の中は甘くない。


視覚を失うと 他の感覚器が鋭くなる
なんてなふうに言われたりするが
そう都合よく 他の感覚器も機能してくれるわけではない。
あるいは 私の場合に限っての事なのかも知れないが
大きさや形など 案外アテにならないものだと思っている。

また 平衡感覚も曖昧になる。
例えば 大根を 輪切りにするとしよう。
自分では まっすぐに 等間隔に切ってるつもりでも
現実には 包丁が斜めに入ってたり
厚さもバラバラだったり
ってな惨劇が 俎上で繰り広げられてたりするのである。
調味料も 大さじで キッチリ計ったつもりでも
微妙に傾いてたりして
計測が曖昧になり 匙を投げたくなる事も多々ある。
あるいはまた 鍋の中に 調味料を投入したつもりが
鍋の外にばらまいてた
なんてな惨事も 数え切れないほどあったりする。



細かい事にこだわっていては
前に進めない。
ときには 妥協や開き直りも肝心。
臨機応変に あるときは したたかに またある時は しなやかに
人生 パンツのゴムの如く 
って なんのこっちゃい。



さて 前置きは これくらいにして
日常的に 調理をどのようにこなしているかを
具体的に紹介しよう。

まず 基本中の基本は
キッチン用品は それぞれのポジションに
キッチンと納めておくことが肝心。
いつもの位置にいつもの物が置いてある事が
大前提である。
そのためには 本人はもとより
周りの協力も大切な要素となる。
時々 テーブルの上に置いてある物を
予告なしに誰かに 動かされてたりすると
パニくったりして 探し回ったりする事になる。
小さな親切 大きなお世話ってな。

それでは 御飯を炊く時の方法を紹介しよう。
今の時代
炊飯器は便利な物が出回っているが
水加減は人間がやらなければならない。
が 昔は カマに メモリなどなかったはずだ。
でも ちゃんと炊いていた。
つまり 水つもりを手に 覚えさせればいいわけである。
ま、炊きあがりが 多少 堅かろうが柔らかかろうが
文句を言わないのが 我が家のオキテなのだ。

次に 茹でる場合
そば、うどん、マカロニ、パスタ、春雨などなど
茹でるものって 案外多い。
ゆで時間に関しては
あらかじめ パッケージに記載されてるゆで時間を 誰かに読んでもらい
把握 しておく。
ここで必要なのは タイマーである。
なにはさておき タイマーは 必須アイテムである。



タイマーは 特に目が不自由でなくても
便利な物で 家族の者も ラーメンを作ったりする時なんぞ
重宝している。


鍋に 水を入れ ガスコンロの上にのせ
点火する。
ここからは 聴覚が大活躍する。
なので 換気扇は 邪魔にならない程度に使用する。
お湯が沸いたら 火傷をしないように細心の注意を払い
箸で 鍋の位置を確認しながら
茹でるものを 投入し タイマーをセットする。
茹で上がったら 火を止め 一旦 鍋を
流し台の中に置き
箸や すくい網などで ザルにあける。
一度 カンを頼りに イッキにザルに
ザーッとあけて しっかりと的をはずし
茹でた物が 流し大に流れてしまうというプチ惨事を起こした事がある。
なので 多少 手間はかかるが
確実な方法をとっている。
茹で上がりが 多少ノビノビだろうが 縮んでようが
文句を言わないのが 我が家のオキテである。


最後に 炒めもので 締めくくろう。
油は ガーゼにしめらせ
小瓶などに 入れておく。
サラダ油、ゴマ油、オリーブオイルなどを用意しておくと
さらに 良いだろう。
具材は それぞれに切っておき
火の通りにくい物から 順番に並べておく。
イメージ的には TVの料理番組のような光景になる。

で フライパンを暖め
油を湿らせたガーゼを 塗り
火の通りニクイ物から順番に炒めていく。
科学調味料は小さじで適量をぱらぱらと蒔き
みりん、酒などは 適当でかまわない。
肝心なのは 醤油だ。
広口の醤油差しのフタを開け
その中に 大さじを突っ込んで計量する。
この方法以外にも
ワンプッシュで5ccとか3cc程の量が出てくる容器があり
一応使ってみたのだが
思ったより 使い勝手が悪かったので
前記の方法にしている。


ザッと味見をして完成ですわな。
できあがりが 多少 硬かろうが 柔らかかろうが
文句を言わないのが 我が家のオキテである。


とまぁ このような感じで 炊事をしている。
言うまでもないが 目が見えないという不自由さ 不便さは
言葉で語りつくせるものではない。
だが
そこに 固執していては 何も始まらない。

確かに 見えると言うことは
とても大切な事だけれど
世の中には 見えないものも 沢山ある。
時の流れ、未来、人の心‥‥‥
本当に大切なものは あるいは
見えないものなのかも知れない。
幸いにも 今のところ
視覚以外の感覚器は 機能してくれている
という事に 感謝しつつ
今日も 包丁を握る。
食材に飽きたら 他のモノも捌いてみよう。

さて 今日は 何を まな板の上に載せようか。




じ・えんど。

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